挨拶をしない人と私(ネガティブなお話)

 私の住んでいるマンションで、挨拶をしない方がいらっしゃいます。

本当は、「挨拶をしない」のではなく「無愛想に挨拶をする」方です。

なぜ、私が「無愛想に挨拶をする」人を「挨拶をしない人」と思っているのか、そして

その方と出会って、自分の中で湧き上がった感情などが分かったので書きました。

出会ったのに挨拶をされなかった

  先日、自転車に乗ってマンションを出ました。

出たすぐの所で、同じマンションの住民の方に出会いました。

私は、挨拶をしようとその方に顔を向けたのですが、相手は私の方に顔を向けることなく

通り過ぎました。

(あれ?同じマンションの人かと思ったけど違ったっけ)と思った瞬間、その方は、マンションに

入っていきました。

たったそれだけの場面ですが、私は一気に感情、思考が働きました。

「え?!私のこと気づかなかったの??いやいやいや、分かるよね。

だって私、マンションの敷地から出たばかりだよ?!」

「なんでこの人、挨拶できないんだろう。違う違う。挨拶はするけど無愛想なんだよね」

「なんで軽く笑うとかできないんだろう。今回に至っては挨拶すらされてないし」

「普通、知り合いじゃなくても、同じマンションの人なら挨拶するよね」

「でもちょっと待って。挨拶程度でこんなにもイライラしてるのって私だけかも」

「私ってちょっとおかしいのかも。普通こんなにもイライラしないはず」

「こんなことでイライラしたりする私、変なんだきっと」

自転車をこぎながら、こんなことを考えていました。そして、家に帰ることには

「こんなにもイライラしているなんて、私の感覚が変なんだ。

だって普通、こんなことで、こんなに長い時間、考えるはずないもん」

という、考えにまとまりました。

 家に帰り、夫に一連の話をしました。

出来事、その時に感じたこと、そして最終的に自分の感覚が少し変な気がするということ。

すると夫からは

「挨拶ひとつで、長い時間考えるのは時間の無駄だし、俺はそんなことしないよ。でも、

挨拶はするもんだと思うから、その感覚は間違っていないと思うよ。むしろ、どうして

「自分の感覚が変」っていう結論に至ったの??」と言われてしまいました。

出来事に対して長い時間考えてしまう

 出来事としては「同じマンションの住民の方に挨拶をされなかった」というだけ。

それだけで、こんなにも考えてしまいます。

これは、私が今までの人生でよくやっている事です。

ちょっとした出来事(感情が動かされる場面)に遭遇すると、そのことばかり考えてしまい

思考で頭の中をいっぱいにしてしまう。

 HSS型HSPの方は、思考で頭の中をいっぱいにしてしまうようです。

今回もそうなっていたんだと、ここでやっと気がつきました。

私は、何を感じたのか

 ここまで長い時間、そして深く考えてしまうのは、私自身が(自分の感情のはずなのに)

自分の感情をしっかり捉えられていないからだと思います。

ここで、「私は何を感じたのか」を考えてました。

マンションの住民の方に出会うが挨拶をされなかった

→ここで私の中の、本音の私は驚いていました。

 非HSS型HSPの方は、そんなことでは驚かないと思います。

しかし、繊細で感受性が豊かで、小さいことですぐに驚いてしまう私は、この時

確実に驚きました。

しかし、「驚いた」という感情は、あまり知りたくない感情。

そのため、「普通○○だよね」という言葉で自分を納得させようとします。

しかし、それでは、いつまでも「驚いた」という感情が置いてけぼりなので、

いつまで経っても考えてしまう。

考えて考えて、思考が止まらないので結局「自分が変なんだ」という結論を

出してしまう。これが一連の流れだったのかなと気づきました。

笑顔で挨拶をするは「マイルール」

 そして、「無愛想に挨拶をする」という出来事、今回の「挨拶すらされなかった」

という出来事は恐らく、私の中にある「挨拶は笑顔でするべきだ」という絶対的なルールに

反していたから、余計に強く感情が揺れ動いたのだと思います。

 夫(非HSS型HSP)の「挨拶はするべきだ」よりも強固な

「絶対に笑顔で挨拶をするべきなのだ!!」という思考のせいで、

夫:「挨拶するべき→まあたまに挨拶しない人もいるよね」ではなく

私:「挨拶は絶対だ→挨拶しない人に遭遇→激しい感情→動揺している私は変」

という、そもそも「挨拶すべき」に差があったのだと思います。

 このルール、私が幼少期の時に、親に厳しく言われ続けたルールでした。

このルールのおかげで、人間関係も上手く築けたし、不都合なことは起こりません。

しかし、この強い絶対的なルールがあるため、私の中の私が、とても驚いたのだと思います。

本当の感情を見つけて認める、そして新しい発見

 今回の出来事で、頭の中は様々なことを考えていましたが、実際の私は

挨拶をされなかったことに驚いたということだけでした。

内容はたったそれだけなのですが、ここまでたどり着くのに、感情を見つけるのに

時間がかかります。

周りの人は、そんなことで驚いたり、イライラすることなんてないと

なんとなく分かっているからです。

 なので「自分がおかしいんだ」という結論を出してしまい、「私はみんなと違う」から

本当に感じた感情を見なかったことにしようとしている。

それが、今まで生きてきた私のやり方でした。

 最近は「自分の感情って、思ったよりなかなか見つけづらい」と思っています。

なので、「今、私は何を感じたんだろう」と自分に問いかけるようにしています。

 今回も家に帰り、自分の中の私に「私、えっ?!って驚いちゃったね」

と、伝えました。

 そして、「挨拶は笑顔でするべきだって、ずっと思ってやってきたもんね」とも

伝えました。

 これからも、また同じ方に会うとネガティブな感情が生まれるかもしれません。

しかし、「私は驚きやすいんだ」「私は笑顔で挨拶するべきだって思っているんだ」

と、自覚できているので、あまり長く深く考えないような気がします。

 大きな出来事ではないけれども、自分の感情を理解し、新しい発見を

した出来事でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました