快・不快の感覚について

 最近、「自分にとっての快・不快」を考える場面がありました。

私は「自分の快・不快」が今イチよく分かりませんでした。

なんで分からないのか、分からなくなってしまったのか、

そんなことを書いています。

小さい頃はあった、快・不快

 幼い頃から、自分の《HSP》的な資質は表れていました。

感性が豊かで、感受性が高い。

そのため、特に《自分にとっての不快》は明確にありました。

身体的に感じる不快

・洋服の左側についているタグ(泣きながら取ってほしいと訴える)

・チクチクする洋服(この服は絶対着ないと断固拒否)

・砂などが入ってしまった靴(砂場では遊ばない子どもだった)

そして、対人面での不快

・私を上から下まで見る視線の動き(品定めされているように感じる)

・私が話した後にある、微妙な間(え?!ダメだった?!と不安になる)

・「さっきも言ったけど」という言葉(私はバカだと言われているように感じる)

など、様々な場面で私は不快を感じていました。

そして、その度に母親に訴えていた記憶があります。

母親の呆れた顔と言葉

 私の訴えに、母は一個一個対応してくれていたと思います。

しかし、対人面での不快に対しては、母親の対応は違っていました。

私が訴える度に思い出せるのは、母親の呆れた顔。

そして、私に

「あんたはほんま神経質やな」

「そんなこと気にしたらあかん」

「あんたが気にしてるって分かると相手はどんどん攻撃してくる。だから、そんなん

 気にしてないフリするのが一番」

と、教えてくれました。

そっか。不快という気持ちは言っちゃダメ、感じちゃダメなんだ

 母のそれらの言葉で、当時の私が感じたこと。それは、

《母に、私の気持ちを分かって欲しかったのに、分かってくれない》

この気持ちも当時はあったと思います。しかし、それ以上に感じたことは

《不快な気持ちを人に言うと、相手が呆れちゃうから言わない方がいいんだ》

《そして、不快な気持ちを感じちゃダメ。それを顔や態度に出すと

 もっと怖いことが起こるんだ、きっと》

《言わない方が、カッコイイんだ!!》

ということでした。

 そこから私は、「不快」を感じないように、必死に頑張ってきたと思います。

《感じているなんてかっこ悪いし、ダメなこと。私は何も感じてないよ!!》

おかげで私は、「なーんにも気にしてませんよ」という態度が得意になったと思います。

これで、対人面では表面的には困ることは少なくなったと思います。

しかし、本来の私はHSPの気質を持っているし、色々なことに気づいて、感じやすい。

そのため、自分では分からないけれどもイライラしてしまったり、学校から帰って

寝込んでしまうこともよくありました。

 外側で見せている私は「細かいこと気にしてませんよ」という私ですが、

内側の私は「不快なことがたくさんあって、自分でも処理できず困っている」という状況でした。

しかし、そんなことも気がつかないまま学生生活、社会人生活を過ごしていました。

夫の言葉「気持ちいいと思うモノにお金をかけよう」に衝撃

 「細かいこと、なーんにも気にしてません」というフリが得意になり、

やがて、自分の感じたこと、何を思ったのかがもう分からなくなったとき、

ある一つの出来事がありました。

 夫と結婚し、一緒に住み始めた時、お金の使い方の話になりました。

その時、夫に言われた言葉

「節約も大事だけど、自分たちが気持ちいいと思ったものにはお金をかけようね」

この言葉に衝撃を受けました。

衝撃というより、自分の中から静かに湧き上がる「???」という気持ち。

《気持ちいいってなんだろう》

《そんなこと、自分で分かるの??》

《そんなこと言われても、お金のかけるところが分からん》 

 こんな気持ちを持っている私とは正反対に、夫は《自分の気持ちいいと感じるもの》を、

完全に理解しているようでした。

この、ハッキリと理解している夫に私は、「なんで分かるの??」と思うと同時に

「私って自分のことなのに、自分の気持ちもよく分かっていないんだ」と、

ここでやっと気づくことが出来ました。

レインブーツを見た時に気づく「自分の快・不快」

 それからしばらく経って、私は雑誌で「大人のレインブーツ」というものを知りました。

《レインブーツって、オシャレに履きこなせるんだ》という気持ちと、

自分の中でイメージしたもの、それは、

《雨の日に足が濡れなくて、気持ちいいと感じている私》でした。

この時、直感で、

《私、足が濡れるのが不快なんじゃないか》と気づきました。

確かに、雨の日は出かけるだけで気分が落ちてた。

そして、家に帰るとすぐ靴下を脱いで、足を洗ってた

これって、自分が嫌だったんじゃないの??

 ここでやっと「自分の快・不快」をイメージし、気づくことができました。

でも、自分の中ではまだ半信半疑。

今まで、自分の「快・不快」に焦点を当ててこなかったから、これが本当の感覚なのか、

自信がありませんでした。

そこから時間はかかりましたが、とりあえずレインブーツを買ってみることにしました。

 雨の日、自分が買ったレインブーツを履いて外出し、帰宅後、レインブーツを脱いだ時、

私は確実に、

「足、靴下が濡れてないの、すごい嬉しい!!」と、感じました。

そして、《やっぱり私、足が濡れる感覚が不快なんだ!!》と、自分の

《不快を見つける》ことができました。

快・不快は確実に私の中の私が感じていていること。それを、

外側の私がやっと気づいた。

そんな感覚でした。

大人になってやっと分かった「自分の気持ち」

  たったこれだけのことですが、私にとっては

・快・不快という感覚は、本当はちゃんと感じていること

・しかし、今までは、そこに焦点を当てずに生きてきたこと

・そのため、自分では気づくことが難しいこと

が分かりました。

 《快・不快》=《自分の感情》だと思いますが、そこに焦点を当てなくなったのは、

私の場合、母の言葉があったからだと思います。

その点に関して、母に文句はありません。

むしろ、それが《当時の私を守るための教え》だったと思います。

そのおかげで、私はなんとか必死に、学生時代、社会人時代を無事過ごすことができました。

 大人になった今でも《時には自分の感情に焦点を当てすぎない》ことも大事だと思います。

(あまりにも焦点を当てすぎていたら、対人面で不都合が起きるから)

しかし、私の中の私が《本当はこう感じているんだね》ということを、

外側の私が、ちゃんと理解して、受け止める必要もあると思います。

 今回の事で(大した出来事ではないけれども)

《私、ずっと感じないように頑張ってたんだね》と、自分の中の私に伝えました。

また一つ、自分を大切にできたような気がします。

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