先日息子と、幼稚園の運動指導の先生の話になった。
その先生はとてもハキハキした先生で、言い方も他の先生と比べたら少し厳しい先生。
《昔の私だったら、怖がってただろうな》と思っていた私。
では、我が子はどう思っているんだろう。
私と血の繋がった息子との、そんなお話。
私が恐れる人
幼稚園の運動指導の先生は、注意する時は厳しいけれども、間違っていることは言わない。
しかも、ユーモアもあって子どもたちが楽しく、一生懸命に運動を頑張れるように
言葉かけをたくさんしてくれる。
しかし、昔の私はそんな先生ですら怖がっていただろうと思った。
《怖い》《怒られたくない》という感情で、心と身体はガチガチ、うまくできずに指導されても
怖くて怖くてたまらない。恐怖の時間になっていたかと思う。
(もちろん、そんなこと周りの人にはバレたくないから言わないけれども)
振り返れば、そんな場面をたくさん思い出す。
「声が大きい」「言い方がきつい」「笑っている顔をあまり見ない」「急に大声を出す」
そんな人たちに、私はいつも心がついていかなかった。
周りの友達の「あの先生、厳しいけど好き」という言葉が全く共感できなかった。
《え??怖いやん。面白いこと言うこともあるけど、それ以上に怖いやん》
そんなことを思っていた。
(もちろん誰にも言わないけれども)
この、《怖いを感じるセンサー》が人より敏感な自分がとても嫌いだった。
だから、先生に何を言われても気にしない素振りをしていたが、実際は心臓がバクバクして
とても怖かったし、辛かった。
(これももちろん言わない)
他の友人たちが、先生に厳しく怒られても数時間後には何事もなかったように
先生と笑顔で話をしているのも全く理解できなかった。
《え?!怒られたのになんで普通に話してるの?!》
学生時代、そして社会人になってもこの現象は続いた。
《なんで私はこんなにも引きずってしまうのだろうか・・・》
ずっと不思議だった。
私は人と違う感じ方をしている。では息子は・・・
30代に入り、HSPやHSS型HSPのことを知って、これが少し解明された。
《そっか。私は人とちょっと違う感じ方をしているんだ》
そう思えて、少しほっとした。
年を重ねるごとに、「怖い人」は少なくなるけれども、もし遭遇しても
《人と違う感じ方をしているだけ》と思えれば、少しはラクになるかも。
そんな風に捉えられた。
では、私と血の繋がっている息子はどう思っているんだろうか。
ユーモアもあるけれども時々、厳しい先生。そんな先生を、息子はどう思っているんだろうか。
母「○○先生ってどんな先生なの??」
息子「手品とかやってくれるの。すごいよ。」
母「幼稚園でやる運動は楽しいの??」
息子「うん!!先生優しいもん」
母「そうなんだ。時々怖い顔で怒るときあるけどね。」
息子「その時は怖いよ。でも優しいし好き」
そっか。息子にはそう見えているのか。
息子は私と違って、人の怖いところも優しいところも見えてるんだ。
そんな風に感じられて本当に良かった。
昔の私のような《恐怖で心と身体が固まってしまった私》とは違う。
血が繋がっているのに、こんなにも感じ方って違うんだと思ったのと同時に、
息子が何事にも恐れず、囚われず、その瞬間を楽しめているようで本当に良かった。
そう思った日。
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