自分のことで、「不思議なこと」は色々ある。
その中の一つが、「昔の記憶があまりない」ということ。
友人と学生時代のことについて話していても、他の友人はハッキリと覚えているのに
自分だけ覚えていないということがよくある。
振り返ると昔の記憶、特に「学生時代」の出来事が記憶に残っていない。
以前は《昔すぎて忘れたのかな》と思っていたが、HSS型HSPの勉強をしているうちに
《嫌な記憶やトラウマ的な記憶は奥底にしまわれてしまう》ということを知った。
なるほど、だから私って昔の記憶がないのか。
と、とても納得。
じゃあ、嫌な記憶ってどんなものがあるんだろう。
すごく気になるけれども、でも見たくない気持ちもある。
そうか、身体が抵抗しているから思い出として、記憶として
自分の中から出てこないんだ。
このような記憶は、自分自身が見られるような状態になったら自然と思い出すようだ。
最近思い出したのは、「体型」のことで周りから、からかわれた記憶。
幼少期から肥満児だった私は、身体のことでからかわれることが多かった。
しかし、自分の中ではそれは「よくあること」であって「言われても仕方がないこと」
そして「そんなこと、慣れすぎていて全然気にしていない」ことだと思っていた。
しかし、最近出てきた記憶ではそう感じさせなかった。
「からかってきたクラスメイト」と「そのからかってきたクラスメイトを止める友人」そして
「私に「気にしてなくていいよ!」と言ってくれる友人」と「恥ずかしそうにしている私」
色々な登場人物が出てきた。
「恥ずかしそうにしている私」は全然慣れていなかった。
むしろ、とても辛くて顔に出そうになっていて、でもそれを必死にこらえている私だった。
そこから、「からかってきたクラスメイト」や「色々してくれた友人たち」への感情や思いなども
一緒に出てきた。ここでは書けないくらい色々、様々・・・。
そっか、私ぜんぜん慣れていなかったんだね。
本当は恥ずかしくて、周りの人たちにいろんな感情を持って、必死にその場を
やり過ごしていたんだ。
そんなことを気づいた。
こんな風な、自分の感情が乗っかった昔の出来事は、これからどんどん出てくるのだろうか。
多分、私が《今、自分が何を感じているか》を探し続けたら、必ず出てくるのだと思う。
その時は、今回みたいに、どんな思いを抱いた自分もまるごと受け止めてあげよう。
そう思った苦い思い出。
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