好きなことを好きって言う

 先日テレビで、自分の好きなことを紹介するコーナーを見ていた。

好き・・・というか、好きを超えてマニアに近い方たち。

そんな人を見るのがとても好き。

自分の好きなことを好きと言って、それをテレビで紹介している姿はとても素敵。

その方々は、家族の方に呆れられたり、テレビでいじられたりしているけれども、

それでも自分の好きを貫いて行動している。ほんと、素敵。カッコイイ。

 こんな感じのコーナーを見入ってしまうのは、多分自分にはそれができないからだとも感じる。

好きを好きって言えなかったなーと、昔の私を思い出しながら見ていた。

学生時代の私

 学生時代の私は、今思えば人の目や反応を極端に気にしすぎていたような気がする。

その結果、自分の好きなことすら口に出すのが怖かった。

 私は、小さい頃から納豆が好きで、今でも世界で一番おいしい食べ物だと思っている。

しかし、それがなかなか言えなかった。

納豆といえば(納豆に失礼だけれども)、見た目があまり可愛くないし、好き嫌い分かれる食べ物と、

小学生時代の頃の私は理解していた。

そのため、周りが「好きな食べ物はイチゴ!」とか「ケーキ!」とか言っている場面で、

「納豆!」と堂々と言えなかった。それを言った時の

「え??納豆ーーー??(笑)」←この笑いが怖い

「私、好きじゃない」←自分を否定されたように感じてしまう

というような反応が返ってきそうで、絶対に言えなかった。

こんなことまで考えているなんて、恥ずかしいけれども、よく考えていた。

 また、小学校高学年の時、迷彩柄にハマった時があった。

私から見ると、柄がもうカッコイイ。色も豊富にある。どの色も素敵!!

と、迷彩柄を見る度に嬉しくて幸せな気持ちになって、笑顔になっちゃう。

私は、迷彩柄が大好きだった。

 小学校5年か6年の頃、家庭かの授業でナップサックを作る時があって、

数あるデザインの中に、私の大好きな迷彩柄があった。

本当はこれで作りたい。でも、「予想」してしまう周りの反応

《女の子なのに、男の子が好きそうな迷彩柄選んでる》

《女の子は普通、そんな柄なんて選ばないよ》

なんていう、周りの声や呆れた顔。

HSS型HSPの想像力と感受性が豊かな面が裏目に出てしまっている瞬間。

これは、実際に言われたわけではなくて、私が想像した周りの反応。

そんなもの、言われない可能性もあるし、実際に言われたらその時、考えれば良い。

頭では分かっているけれども、それに心が追いつかない。

言われた時に私は笑顔で「だって好きやもん!」と笑顔で言えるか。

「私が好きなんやからほっといて!」と自信持って言えるか。

イメージしても、そんな返しできる気がしない。

何日も何日も悩んだ結果、私は迷彩柄を選ばなかった。

選ぶことができなかった。

そのため、できあがっても心から嬉しくなれなかったし、卒業して部屋の整理をした時に

すぐに捨ててしまった。

ナップサックが嫌なんじゃなくて、好きなことを好きと言えなかった自分を思い出すから、

嫌だった。

 あの時、勇気を持って迷彩柄を選んでいたら、良かったのに・・・

なんて、大人になっても思い出しては、悔やんでしまう。

たかが、ナップサックだけど、《好きなものを好きと言えない》自分は、大人になった自分にも

思い出しては、少し悲しくなっちゃう。

大人になった私

 大人になり、社会人になって、尊敬できる先輩、上司に恵まれたあたりから、

自分の好きなものを好きと言えるようになった。

 また、今の夫と出会ってからも変化があった。

夫が女の子のフィギアを大事そうに扱っている姿を見て

《好きを好きって言えるのって、素敵だな》と思えた。

大事そうに扱っているのはミニスカートを履いた女の子のフィギアたちだけれども、

それを、ちゃんと好きと言っている夫がとても素敵に見えた。

 昔の私は言えなかったし、大人になった今でも、言えなかったことが少しだけ心に残っている。

今でも迷彩柄のナップサック作り直せるなら作りたい。笑

でも、今は少しずつ、言えるようになったこと。

そして、それがどんなことであっても、素敵だと思える自分になれたことは、とても成長。

そんなこと、思いながらテレビを見ていた日曜日。

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