以前、子どもの習い事のレッスンに参加していたとき、過去の自分を思い出した。
それは、具体的な場面ではないけれども、自分自身が《自分なんか努力しても無理だ》
と、思い込んでいる場面。そして、努力することを放棄した自分。
この《努力できない自分》を紐解いていくと、それは自分自身が、心で実は
《自分はできちゃう人間なんだ》と思っている所からきていると気がついた。
そんなお話。
努力は大切
息子は、音楽が好きなようで、毎日ピアノを弾いている。
そのため、幼稚園で習った歌や、音楽はすぐに覚えてくる。
何度も聞く音楽については、先生が弾いているピアノの音も拾えるようになってきた。
そんな息子は、現在エレクトーンのグループレッスンに通っている。
そのレッスンでも、初めて聞いた曲はすぐ覚えて弾けてしまう。
そんな息子を「この子、才能あるのかしら♪」なんて、こっちも調子乗ってしまっていた。
しかしある日、少しビックリしたことが起きた。
その日のレッスンで行われた曲は、右手、左手片手ずつ弾く曲だった。
息子も片手ずつなら完璧。
すると、同じグループの一人の子どもが「先生、これ両手で弾けるよ」と言った。
すると、次々にみんなが「私も!」「僕も!」となった。
先生も「じゃあ引ける子は両手で」というと、なんと息子以外の子どもたちはほとんどみんな
両手で弾けていた!
すごい!みんないつも間にこんなに弾けるようになったの?!
こんなこと、実は誰にも言っていなかったけど、うちの息子はできる方だと思っていた!
練習も正直あまりやっていなかったけれども、「できてるし、まっいっか♪」なんて
余裕ぶっこいていた!!
しかし、それは毎日コツコツ頑張っていた子たちにはかなわない。
やはり、毎日頑張っている子たちは、努力を積み重ねた上で「両手で弾けるかも」という
意欲を持って、さらに努力を重ねて弾けるようになっているのね。
しかも、弾き終わった後のみんなの笑顔が素晴らしい!!
子どもたちの実力と表情で、「努力は大切」という、めちゃめちゃ簡単な事に気がついた。
同時に思い出した、過去の自分
その瞬間、過去の自分を思い出した。
思い出したというより、「努力をした子たち」と比べて見える過去の私。
過去の私は、「努力する」ということができていたのか。
多分というか、ほとんどの場面でできていなかった気がする。
過去の私は、頑張らないといけない場面では「私なんか、なにやってもだめだ」という感情に
飲み込まれてしまう。
毎回ではないけれども、あるショックを受けた時にやってくるこの感情。
それは、「自分より出来る人」に遭遇した時にでてくる感情。
このパターン、よくあったな・・・。
と、ふと思い出した。
じゃあ、なんでそうなってしまうんだろう。
家に帰ってゆっくり考え始めた。
私はできちゃう人間だと思っているフシがある
家に帰って、過去の自分を思い出す。思い出せたのは、
初めて何かをやりはじめた時。その時、たまたま上手く出来てしまったとき、
《「私ってできるんだ」と調子になった自分の姿と、ニヤニヤしている表情》だった。
なんてヤツなんだ!この時点でもう恥ずかしい!笑
でも、ほんとによくあったこのパターン。
勉強も、ピアノも、習字も、ダンスも思い出せば色々ある。
先生に言われたことがすぐに理解できて、実践できた。そして先生も褒めてくれた。
(習い事の先生なんてすぐ褒めてくれるだろうけど、それを真に受けている自分もいる)
そこで思ってしまう、《なんだ~。私ってすぐできちゃうのね》という気持ちと
ニヤニヤしている私。
しかし、そうやって調子に乗っているとすぐに追い越される。
周りは、私が調子に乗っている間にちゃんと努力し、一瞬で私を追い越してしまう。
そこで感じてしまう私。
《調子に乗っている間に追い越されてしまった。恥ずかしい!》そして
《こんな恥ずかしい思いするなら、もうやりたくない》
と、「努力しない」という選択をしてしまう。それが積み重なって
《自分なんて努力しても無理なんだ》と、努力する前から諦めるクセがついてしまった。
最初から《自分はできないヤツなんだ》と思っていた訳ではなく、むしろ
《自分はできるんだ》と思っていて、そのことが崩れた時に、恥ずかしいという感情が芽生え、
この「恥ずかしい」という感情を感じたくないから「努力しない、頑張らない」という
選択をしていき、結果《自分はできないヤツなんだ》と気がついた。
これが、今の私なんだ。
恥ずかしいけど、自分が理解できた感じ
ここまでたどり着くと、《こんな自分恥ずかしいな》という感情もあるけれども、
《ああ、そうだ。私、こうやって生きてきたんだね》と、理解できた。
そして笑っちゃった。笑
勝手に調子乗って、勝手に出来ないって決めつけてきたんだ私ーーー!
なんてもったいない!!
そうそう、恥ずかしいって感情、あまり感じたくないから逃げようと必死だったんだね。
でもだからって、努力しないのは違うよね??笑
自分自身の感情で自滅しているではないか!
過去の自分はもう変えられない。でもその代わり、今度、同じ場面に遭遇したときに
《今!恥ずかしい思いしたくないから努力しないって思ってない?!》と、
食い気味で自分に聞いてみよう。そしたら、今の私なら思いとどまって、
努力しようとするかもしれない。
努力できなかった自分はいたけれども、これからは努力できるかもしれない。
そして、何より、息子には過去の私のような人間にはなってほしくない。
《自分はできないんだ》ではなく《できるようになるにはどうしたらいいだろう》と、
当たり前に考えて、努力できる人間になって欲しい。
そう思いながら、息子と言葉の一つひとつを選びながら、今日のことを振り返る。
「また頑張ろうね」と、息子とお風呂で話した、そんな一日。
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