私は「愛想」について、人より過剰反応する傾向があるなーと昔から感じていた。
「愛想が良い」それだけで良い印象を抱くし、「愛想が悪い」と、もう正直
関わりたくないし、自分自身の感情が揺れ動くのが分かる。
何でこんなにも感情が揺れ動いてしまうんだろう・・・。
そんなこと、なんとなーく考えていたお話。
根底で思っていたことの発見
愛想の悪い人を見ると、自分がすぐイライラしてしまうのが分かる。
そして、私自身が「人と話す、対応する時は、愛想良くするのが普通でしょ??」と
自分の中のルールに基づいて相手を批判している自分が、心の中にいることも分かる。
でも、これだけ分かってもなかなか腑に落ちない。
なんでだろう。私、もうちょっと違うこと考えている・・・??
そこをもう少したどっていくと、あるとき見えたもの
《自分ならこんなこと簡単にできちゃうのに、なんであの人そんなこともできないんだろう》
という、気持ち。
自分のルールに沿って相手を批判していることは間違いないのだけど、そのことだけでなく
「私は簡単にできる」と思っている。思っているフシがある。
そうだそうだ!私、そんなこと思ってるよね!笑
だってさ、小さい頃からできたもんね!
近所の人、お友達のお母さん、あまり仲良くない同級生、みんなに愛想良く出来た。
さらに大人になれば仕事関係の人、ママ友、「子ども可愛いね~」と話しかけてくる方
みんなみんな愛想良くできたし、いい顔できた。
どんな時でも私、そんなことできちゃうの。当たり前に。
だって、そんなの簡単でしょ。笑顔で挨拶して、相手の話を聞いて、相手を嫌な気持ちに
させないような対応をして、最後に笑顔でバイバイする。
そんなこと、簡単にできるもん。
そっか~~。そんなこと思ってるよね~~笑
だから、そんなことができない人を「なんで~??」と思ってるよね。
ああ・・・なんてヤツだ私!!こら!!って思っちゃう。
自分のちょっと調子乗ってる部分がまた垣間見られたな~~。
調子乗ってる私だけど・・・
こんなヤツだけど、それって根本たどれば
《外面気にしている私がいること》でもあるよな~・・・。
相手に「何あの子??」や「あいつの態度なんやねん」とか思われたくないし、
「素敵なママね」「あの人といると楽しいわ」なんて思われたいから、
やってしまっていること。
そんな《外面を気にしている私》は小さい頃からいた。だからもう、自分にとっては
長年やってきた経験があるから、簡単にやれちゃうんだ!
もう、自慢できるもんじゃないけど、上級者レベルよね~私。
《愛想が良い》は、とても素敵なこと。だけど、それを《相手にどう思われるか》を
基準にしてやってきた自分がいること、を、自覚した上で、自分がどう行動するかは
考えないといけない。
《なぜあいつはやらないんだ!》なんて思うことは簡単だけど、そう思う根底の感情を
理解したら、そんな気持ちも薄くなるだろうし、少し見え方が変わる・・・
気もするようなしないような笑
《そっか~~私、できちゃうんだよね》
《人の目、気にしてるもんね》
《でも、愛想悪い人は相変わらず苦手よね~~。ついつい見ちゃうよね~》
なんて、私の中の私と会話。
これからも、外面は気にするし、愛想は振りまくりまくると思うけど、
そんな自分と、愛想が悪い人がいるのは、当たり前のことだよな~~
なんて、思った私。
コメント