以前、家族でプラネタリウムに行きました。
何十年ぶりなので、とても楽しみにしていました。
すると、自分が予想していなかった感情を抱いて、思わず泣きそうになりました。
プラネタリウムで昔の人の幸せな日々を感じる
プラネタリウムでは、ガイドをしてくれる方がいまして、(そのことすら知らなかった)
その方のお話を聞きながら、見ていました。
っていっても、子どもの対応に追われてしまうので、半分だけ耳を傾けて聞くような状態でした。
星空を映し出したときに、ガイドの方が
「昔の方は、空にお絵かきをしたと思います。
あの星とあの星を結んでおにぎりだーとか言っていたかもしれませんね」
という言葉に、とても心がぶわっとなりました。
《ぶわっと》が正しい表現かは分かりませんが、私は確かにその言葉で心が
揺れ動いたと思います。
その言葉だけで、様々なことが想像できるのです。
昔は、今よりももっと星が見えていたかもしれない。その中で、
家族や好きな人と夜、空を見ながら、「きれいだね」とか「あれは○○に似てるね」
なんてお話しているなんて、とても素敵な時間だなと思いました。
今みたいに、携帯や刺激的なコンテンツがない時代に、星空を見て昔の人は
高い想像力を持って、その時代を楽しんでいたんだろうな。
そして、その楽しんだ事が、今の時代に「星座」という形で繋がって、同じものを
見ているなんて。とてもまた素敵な事じゃないかい!!
と、感じました。
思えば思うほど、とても感動して泣きそうになりました。
しかし、こんな事(言葉一つでこんなにも心が揺れ動くこと)は、
あまり共感してくれる人はいないとも分かっています。
ちょっとしたことで心が揺れ動いてしまうことがよくある
この、《ちょっとしたことで心が揺れ動いてしまう》
は、生きていく中で何度もありました。
その度に、周りを人々の反応を確認し
《ああ、今は感動するところじゃないんだな》と察知し、必死に何でもないフリをする。
だから、自分は何事にも《感動したくない》と思ってしまうし
《ここで泣きそうになる自分は恥ずかしいし、変な目で見られるはずだ》
と、自分の感情を必死に無視しようとします。
幸いなことに、今は夫が私の感情の受け止め役をしてくれているので
心が揺れ動いても、その感情に素直に浸れるようになりました。
(受け止め役と言っても、感動して大泣きしている私の事を爆笑しながら涙を拭くという役です)
HSS型HSPは感情の振り幅がすごい
なぜ、こんなに心が揺れ動いてしまうのか、これは実生活ではそこまで困ることではないですが
ずっと気になっていたことでした。
しかし、HSS型HSPの概念を知り、本を読んでいくと、
HSS型HSPの特徴なのだと知りました。
引用
感受性の幅が、繊細さんと非繊細さんとでは大きく違うために、両端のはみ出した部分について、非繊細さんたちに理解してもらえない、という事態が起こります。
「その生きづらさ、「かくれ繊細さん」かもしれません」ー時田ひさ子
自分が感動しすぎるのも、ちょっとしたことで急に泣きそうになるのも、
私が変な訳ではなく、そんな特性を持っていただけなんだ。
誰にも理解されないのは、仕方のないことなんだ
と、納得しました。
でも、自分が感動したことを「他の人には理解されないから」といって
その感情を置きっぱなしにはしたくない。
という気持ちもあります。
そんなことをしてしまうとだんだん自分が感じたことを無視したり、
自分の感じたことが信じられなくなるんです。
そうやっていくと、またどんどん自分が何を思っているのか、何を感じているのかが
分からなくなってしまう。そんな感覚が幼少期からつい最近までずっとありました。
なので、今は夫や子どもにだけ、お話したりしています。
夫にはよく「ん?」みたいな顔をされますが、夫も子どももちゃんと聞いてくれます。
それだけで、だいぶ自分の心が納得していきます。
しばらくはこうやって、自分の気持ちをなかったことにせずに
大切にしようと思います。
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