昔の出来事が今の私にも影響しているというお話

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 私は、我が家に人をお招きするのはあまり得意ではありません。

準備、我が家で過ごしている時間、終わった後など、考えること、思うことが色々ありすぎて

(一人で勝手に)疲れてしまいます。

そこまで考える必要ないはずなのに、なぜそこまで考えてしまうのか・・・

それは、過去に言われた言葉が今の私にも影響しているんだろうなと気づきました。

友人を家に招き、言われた一言

人生で初めて、友人を家に入れた時

 結婚し、引っ越しをし、自分で掃除をするようになった時、

(結婚するまではずっと母にしてもらってました。ありがとう母)

友人が我が家に泊まりに来ることになりました。

《せっかく家に来てくれるなら楽しい時間を過ごしたい》気持ちと

《「ナットゥーって掃除もまともにできないんだな」》と思われたくないという気持ちがあり

めちゃくちゃ掃除を頑張りました。

友人がピンポンを押すギリギリまで頑張りました。

いざ友人が来てくれて楽しい時間がやってきたのですが、私にとっては

気になることがたくさんありました。

友人が我が家を見渡す視線、私への視線、会話などから

ドキドキして勝手に想像を膨らませてしまいます。

《家、掃除できてないって思われてるのかな》

《私の行動、変って思ってるのかな?》

友人の一つ一つの行動が、私の心が動揺するきっかけになってしまいます。

楽しいのに、どう思われているのかが不安で不安で仕方ありませんでした。

 そして友人が帰る時、友人に二点について感想を言われました。

一点目は《ご飯を食べたときに、私がお皿をすぐに洗わなかったことが気になった》こと。

二点目は《引き出しの中など、外から見えないところはそこまで整理されていない》こと。

最後に

「ナットゥーって綺麗好きではないんやね」

その一言で、もう私の心は動揺しまくりました(もちろん動揺した様子など一切見せていません)

《理想の私》と《現実の私》

私は人から《掃除くらいはちゃんとできる人間》に思われたかったんだと思います。

しかし、友人の言葉で

《掃除もまともに出来なくて》

《外から見えない所は整理出来なくて》

《お皿をすぐに洗わない》そんな私は

結果、《人から見たら綺麗好きではない》と認定されてしまったような感覚でした。

もちろん、友人は評価をしに来た訳ではないので、会話の流れで言っただけなんです。

なので、そこまで気にする必要はないはずなのに、落ち込んでしまいました。

そして、そんなことで落ち込んでいる自分も恥ずかしいんです。

 

自分で自分にブレーキをかけてしまう

あの件以来、私の中には

《本当は綺麗好きと思われたい私》がいて、

《人から綺麗好き認定されないと、恥ずかしいと感じる私》が存在することを知りました。

この二つの感情があるから、私は事前に頑張るし、人からどう評価されるかドキドキするし、

疲れてしまうし、怖くなってしまうのだと思います。

 それが、結果《我が家に人を招くのが苦手》に繋がっているのだと思います。

逆に、上記の私がいなかったら、こんなにも心は動揺しないはずだと思いますし、

そこまで、人を招くのが苦手にならないと思います。

 自分の中にある《こう思われたい私》はいつも理想が高いです。

ならば、そこに向かって努力すれば良いのですが、それも上手くできない。

結果、自分を苦しめて、自信をなくし、苦手な事が増えていく。

「簡単なことだけれども、どうしても苦手なこと」は、私には色々あるのですが、

恐らく根底に何かしらの思いがあって、その何かしらの思いが

今の私にブレーキをかけているのだと思います。

 このブレーキを外してあげたいな。

そうするとどんな未来が待っているんだろう。

ブログを書きながらそんなことを思いました。

 

 

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