楽しいことを、見つけた時

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 最近、「文を書く」ということが、とても楽しいことに気がついた。

何かを《楽しい》と思えたら、もっともっと頑張りたくなるし、やりたくなる。

しかし、そんな時に必ず出てくる私の中の私。

《楽しい》と思っている私を、必死にやめさせようとしてくる。

そこに気がついた、そんなお話。

好きなこと、やりたいことを見つけた時

 《これ、好きだな》《これ、もっとやってみたいな》という気持ちがわくとワクワクしてくる。

大人になると、好きになったこと。

ジグソーパズル、読書、ストレッチ、散歩など、たくさんの好き、楽しいに出会った。

今、好きなのは「書くこと」

別に、表現力や語彙力があるわけではないので、誰かに何か素敵なことを伝えられるわけではない!

それでも、《好きだな~楽しいな~》と、思える。

《もっとやりたい》《もっと楽しみたい》と思っている自分は、私の中にある、本当の気持ち。

しかし、一方で、楽しいことや、好きなことをやろうとする私を、全力で止めてくる

私もいる。これは、最近気がついた、私の中の私。

 全力で止めようとしてくる私は、いろんなことを言ってくる。

《頭悪いのに、文なんか書いてるの??》

《そんなことは、頭の良い人がやることだよ》

《書いてて楽しいからって、調子乗ったらダメだよ》

《そんなことやる前に、やることあるでしょ》

《どうせすぐやめるでしょ。だって飽き性だもん》

なんて、色々言ってくる。

しかも、ちょっと眉をひそめて、小馬鹿にした感じで。

こんなこと言っている私は、自分の中に確実にいる、私の中の私。本当の私。

 今までは、この「全力で止めてこようとしている私」に気がつかなかった。

やりたいことがあっても、もっとやりたいと思っても、何かが引っかかって、心がモヤモヤして

頑張る前からやめてしまう。

見えないなにかに《不安》という感情を乗っけて、私を押しつぶしてくるような感覚。

だから、何かを迷いなく取り組んでいる人をかっこいいと思うし、羨ましとも思う。

何かを頑張れない自分は人としておかしいのではないかと思うし、

まだ、本当に好きなことを見つけられてないだけではないかと思っていた。

しかし、今までの人生の中でも《これ好き、楽しい》はいっぱいあった。

それをなくしてきたのは、自分自身で、私の中の私が言っていただけ。

・・・だと、最近気がついた。

やめさせるために、随分熱心に頑張ってきたな~私。笑

そんなこと、せんとってよ~笑

 

やりたい気持ちも、やめさせたい気持ちも受け入れる

 そんなこと、せんとってよ~。とは思っちゃうけど、それも私。

《書くことが、好きなんだね》

《楽しいって思っているんだね》

と、やりたい気持ちを受け止める。

そして、

《自分のこと、頭悪いと思ってるんだね》

《調子乗るとまた恥ずかしい思いするって、教えてくれてるんだね》

《飽き性だと思ってるんだね》

と、必死に止めようとしてくる私の気持ちも受け止める。

 そうやって、一つひとつの気持ちを丁寧にすくい上げていく。

すると、素直に、正直に、思う私の気持ち

《誰かに迷惑かけなければいっか》

《やめたきゃやめたらいいや》

そう思えた私の顔は、さっきの眉をひそめた、小馬鹿にした顔ではなく、

なんかふっきれた顔。

とりあえず、《楽しい、やりたい》と思っているうちは、楽しんじゃえっっ!

そんなこと、考えた日。

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